聖書の学び資料
イエス、洗礼を受ける
マルコによる福音書 1章 9-11節
洗礼者ヨハネは、イエスのはとこです。イエス様より数か月の年上でした。父親は、ユダヤ教の儀式を司る祭司であったがヨハネは祭司にはならず、荒れ野で生きる道を選びました。死海の近くにあるクムランの洞窟周辺では、そのような簡素な生活を送り、水で自らを清めたりしている人々がいました。ヨハネもその人々に倣って荒れ野で簡素に生き、一般の人々にも簡素な生活を勧めさらには水で洗礼を受けることによって罪を悔い改めるよう訴えました。ヨハネの洗礼は特にバプテスマと言われています。キリスト教で行われる洗礼は、頭に水をかけることで、教会の一員になり、イエス・キリストに従う生き方をする決意を表すことです。それに対し、バプテスマとは、罪の悔い改めのしるしであり、全身を水に浸けることで行われます。水の中というのは、「罪」や「死」を意味しているため、水の中で罪が死んで、水から上がることで、罪のない新しい自分に生まれ変わるという意味があります。そのためヨハネのバプテスマを受けるには、まず自分の犯した罪を悔い改めることが重要でした。ユダヤ今日の律法は膨大で、すべてを守り続けることはできません。生活に精一杯の一般の人々は、律法に背いて罪を犯さざるを得なかったために、律法学者たちからは蔑まれていました。そんな律法学者をヨハネは批判し、本当に大切なことを教えたため、彼のもとには多くの人々が集まりました。イエス様もその一人です。そして、罪のなかったイエス様がバプテスマを受けたのは、後にくる十字架の死と復活を意味しているといわれています。また、霊が鳩のように降り、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天からの声によって、イエス様自身、神様の愛を確認する体験となり、後の使命を果たす力となったのでしょう。
マルコは、紀元70年代に福音書を書きました。ローマで宣教活動をしていたマルコは、皇帝ネロによる迫害を経験しています。イエス様が十字架の苦しみの中でもこの愛の体験が力となったように、迫害の中でも「あなたはわたしの愛する子」という言葉を思い出し、神様の愛のために信仰を守りぬきなさいと言っているのでしょう。
