福音の分かち合い
放蕩息子のたとえ
2016-03-06
ルカによる福音 15章 1-3、11-32節
今日のたとえ話は、3つのことを私たちに訴えかけているように思います。①「弟」である徴税人や罪びとは、この自分であるということ、②ファリサイ派の人々や律法学者をたとえている「兄」の回心を望むこと、そして③慈しみ深い天の神様をたとえた「お父さん」に、この自分もなれるよう努力することです。私たちはこの3つのどの人物でもあり得ます。「弟」は、回心して家に戻ったわけではなく、お腹がすいていたために「お父さん」のもとに戻ってきました。「お父さん」は、「弟」の回心より家に戻ってくることを望んでいたのです。それに対して「兄」は、常に「お父さん」とともに家にいながら嫉妬という罪を犯しています。そして「お父さん」は、「兄」の回心を望んでいます。このたとえ話を読みながらとても面白いと思いました。一見、「弟」の方が悪く回心の必要性を感じますが、「お父さん」は「弟」の回心より「兄」の回心を望む。矛盾に見えますが、神様は人間とは異なる目を持っておられるのを、このたとえ話を通して、つくづく思いました。
